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クパの幸福論

スクリーンショット 2014-05-18 12.58.02

撫でてたら、イビキかいて寝始めた。
クパ、幸せにしてやる。
私が、幸せにしてやる。
飼い主が犬に幸せにしてもらうのは二次的産物だ。
飼い主が、自分の犬を幸せにしてあげるのだ。それが、飼う、ということ。
できれば、犬が天に召されるまで。
でも、クパ、イビキ、うるさい。
*********(追記)***********

クパが私を選んだのではなく、私が一方的に選んだんだから、責任が私にはあります。
また、本来ならば、犬と飼い主はギブアンドテイクが理想と思いますが、クパは私にカモやシカを獲ってくる仕事もさせてもらえない分、よけいに私はクパの幸せを補填してあげなくちゃ、と思うのです。

自分の犬を幸せにする責任があるのは、
ニンゲンの子どもと一緒にしちゃいけないと思うけど、感覚は似ています。

クパ、幸せにしてやる。
私が、幸せにしてやる。
一生、私が守ってやる。

というのは、「クパ」→「マチュ」に書き換えても同じな気がします。
飼い主や親が犬や子どもに幸せにしてもらうのは二次的産物。
飼い主や親が、自分の犬や子どもを幸せにしてあげる、守ってあげる。
それが、育てる、ひとつの命を護って尊重する、ということだと思う。

子どもや犬は、親や飼い主を選べない。
子どもや犬を産み(譲り受け)、育てると決断したのは、私なんだから。

ま、マチュの場合は、いつか自立して、親以外の誰かと一緒に生きていくはずで、親以外の誰かと幸せになってほしい。また私の方が順番的には早く死ぬはず。だから、犬と子どもがまったく同じなわけでもない。同じにしてもいけない。親離れ、子離れできないのはダメだ。

だけどー、犬の場合は、一生、子離れしない。一生、飼い主から離れたくない。一生、飼い主の言うとおりにしか生きられない。
そこをちゃんとわかって、幸せにしてあげなくちゃね。

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