ペット(家族)ロス

昨日、ドッグトレーナーが多く集まるカンファレンスの取材に行ってきました。会場は、タビィとパチがお世話になったA大学構内でした。

パチが6月25日に死んで以来、一度も来ていなかったので、講演の合間の昼休みに大学病院に挨拶に行ってきました。タビィの肥満細胞種でお世話になり始めたのが昨年10月、それから毎週か2週間おきに放射線治療と抗ガン剤治療に通い続け、タビィが治ったとお墨付きをもらった日に、パチが組織球症(または悪性組織球症)と判明し、引き続きまた毎週のように通い詰めた木曜・腫瘍科の日。

担当医の先生方は金曜だったからご不在でしたが、受付のみなさんにご挨拶してきました。そして建物から出たとたん、涙が止まらなくなりまして。

もう何で涙がでるのか、なんで涙がこんなにも出てくるのか、自分でも制御不能で。

1時からまだ取材の続きがあるから、泣きはらした目ではかっこ悪い、とか、犬も連れていないのに病院の前で泣いていたらヘンだろう、とか思ってなんとか涙を止めようとするんだけど、止まらないから、もうしょうがない。

今週水曜日は、ペットロスの取材に行ったんだけど、思い出深い場所に行ったら泣けてくる、というのもごく正常な反応だからと聞いてたから、もう逆らっても無駄だと自分で思いまして。ペットロスは特殊な感情や精神障害ではなくて、ごく当たり前の感情なんだから仕方ないよ、だって10年ともに暮らした可愛い家族がいなくなったんだから、まだ死んで2か月半なんだし、自分の感情に逆らうとよけいにこじれるといけないからもう泣くしかないやと思った。

建物入り口前の自動販売機のある喫煙コーナーで
“パチをここにつないでいたなぁ”
“通院のとき、パチはしんどそうな顔してたなぁ”
“タビィが寛解したのがせめてもの救いだけど、パチは治療してもやっぱりだめだったなぁ”
“タビィは半年通ったけど、パチはたった2か月で死んじゃったなぁ”
“咳が出始めたときに、すぐ連れてくればよかったのに、私ったら”
“それでも悪性組織球症は平均2か月というからなぁ、ほんとタチの悪いガンだったよなぁ。ちくしょー、なんでパチがそんなガンになっちゃったんだろう”
などが頭の中をぐるぐる周り、もう、また大人のくせにボロボロ泣いてました。

……“もうパチはいないんだ”。
すべてはこのひと言につながります。

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大学病院は相変わらず、ドーンとそびえてた。毎回この駐車場に足繁く通ったよなぁ。
だけど、もうパチはいない。

犬は人間よりも寿命は短い。
この当たり前の事実があるし、私もわかっているけど、泣けてくるもんはしかたないや。
なにしろここはかなりポイントの高い、思い出の場所なんだしさ。
けっこう頑張ったんだけど、死んじゃうときは死んじゃうね。生き物だから。
ねえ、パチ。

私たちが通っていたとき、木曜日、腫瘍科に通院していたみんなは、頑張ってるかな。
ペットロスってね、「治らない病気」とわかったときから、始まるそうです。
でも、可愛い大切な家族を失う心の痛み、悲しみはごく当然の感情なんだから恥じることはない。
いま闘っている人は、飼い主が納得するまで、頑張って。
闘い終わった人は、泣けてくるときはしょうがないからしっかり泣いて。感情を押し殺さないで。
時間の経過とともに、きっと穏やかな日々が戻ってくるよ。

死んで数ヶ月経っても、こういうふうになることもある、という1例のために書いてみました。
でも、1時からはなんとか涙を止めて、仕事に行ったよ。
スライドを使った会場内は照明が暗くて泣きべそがばれず、助かりました(笑)。パチ、さんきゅー。

(↓ 大学病院の駐車場で撮った在りしのパチ。先生に撫でられて嬉しそうだった)
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パチ四十九日

パチが死んで、ほぼ四十九日を迎えました。
私は無宗教なのでアバウトだし、神社にもお寺にも教会にもお祈りを捧げてしまうタイプなので、きちんとした法要をするわけではないですが、「仏教だったら、パチは、ようやくあちらの世界にたどり着いたのだな」と思い、またしんみりしたくなりました。

パチがいなくなって、犬2頭の生活にも慣れてきました。
「今年13歳になる残された2頭にまで何かあったらどうしよう」という不安も、まだあるけれど、当時のように焦ってどうにかしようというのではなく、落ち着いて考えられるようになってきました。
パチがいない海水浴は未だにパチの面影を思い出して寂しいけれど……。

時間の経過とともに、パチのことを忘れるのではなく、
私たちの可愛いパチが心の深い方に沈澱していく、今はそんな感じです。
こんな文章を書いてたら、やっぱりまた泣けてくるけど(笑)。

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こないだ広島に帰ったとき、わが家のルールにのっとり、瀬戸内海へ散骨しようと思ったけど、「まだお別れはつらいから、年末まで、パチをもう少しおうちにおいておこう」と家族会議で決まりました。パチのお骨は、まだリビングの(万が一でも猫や犬に倒されない)キャビネットの上にあり、そこから私たちを見下ろしています。

先週、シンガポールから一時帰国している犬友達と、代々木公園で会いました。
そのとき、こんな素敵なパチを贈ってくれました。

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ちゃんと耳が垂れてる(笑)。オーダーメードしてくれたんだって。
つぶらな、邪気のない瞳がパチっぽい。
受け取ったとき、泣きそうになりつつも、心がほんわりしました。
Y子さん、ありがとう。
おまけの、サンタクマさんも可愛いよ。

パチ、今年の夏は、下界はすごく暑いんだよ。
そっちはどう?

あれから1週間

パチが死んで、1週間が経ちました。
先週はほんと使い物にならない私でした。
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「先週の今頃は、まだパチいたのにね」
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「あーあ、ほんとにパチは死んじゃったのかぁ」
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「普通(の家庭)だったら2頭もいればじゅうぶん(の多頭飼育)なのに、1頭減るとずいぶん寂しいね」

そんな言葉が口癖のようになっていました。
上の写真は、パチが亡くなる前日の写真ばかりです。

でも、ほら、わりとぎりぎりまで普通に過ごしているでしょう。結局、放射線治療や抗ガン剤を頑張っても、生きている余命は、悪性組織球症で書かれている文献どおり、案の定というか何というか悔しいけど「平均2か月」という文言のままだったけど、だけど治療のおかげで質の高い、QOLの高い時間をパチに与えることができたと思ってる。担当の先生に対して感謝する気持ちでいっぱいです。でも、それってかなりラッキーな終わり方だとも思うのよ。誰かのせいにしたくないし、それに、そう思えるだけ信頼できる先生に最後まで任せることができたっていうのはいいことだと思うんだ。

それにしても、みなさん、パチにいっぱいお花をありがとう。週末まで、連日宅急便がピンポンとやってきて、そのたびによい香りに包まれ、癒されました。「ほら、パチ、またお花が届いたよ」。いやー、ほんとびっくりするほどの、たくさんのお花たち。わが家始まって以来の花畑です。パチはほんと、多くの人の心にスリスリする子だったからなぁ。パチはみんなにこんなに可愛がってもらえた……これほど飼い主冥利に尽きることはありません。
それにね、土曜日、予定どおりEオカさんがパチのために遊びに来てくれました。仲良し奥隣りのMりんも、Eオカさんとはパチのお誕生日会潮風公園バーベキューでもう面識あるから誘って(笑)(犬友達の友達はみな友達だ)、手作りおかず持参で登場してくれました。
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(↑ これはパチのお誕生日会バーベキューのときの、コギはべらし状態のEオカさん。パチ、タビィ、そしてパチのお兄ちゃんの陸ちゃんを千手観音さまになって撫でまくっている図)

朝まで、そう、「パチはこんな朝の明るさのときに死んだんだよ」という時間まで、私たちは飲み続けました。別に泣いてばかりいたわけじゃなくて、いっぱい飲んで、笑って、初七日を送ったという感じ。深夜にMりんは帰り(おとなりさんはこういうとき便利)、我々は翌日ふらふら昼に起きて、午後バドとタビィとマチュとEオカさんと代々木公園のドッグランにも行きました。元気に走り回っているたくさんの犬たちを一緒に眺めました。

バイバイしたあとにつくづく思ったんだけど、これもパチがくれたご縁だなぁ、そもそもEオカさんとこんな仲良しになれたのはパチのおかげだなと。Eオカさんはなにしろパチのトリコでしたからね(笑)。パチに感謝するよ。

まだ、たまにボーッとしたり、泣いたりもするけど……仕事もかなーりやばい事態に陥ってましたけど(苦笑)、ようやく本日、ほぼ持ち直したところです。

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↑ これは昨日、マチュが撮った写真。マチュが、泣き虫の使いもんにならぬ母を励ましてくれた1週間でもありました。

少しずつ、悲しみを乗り越え、日常が戻りつつある白石家です。

パチの最後の夜

みなさん、コメントやメール、駆けつけてくれたり、いろいろ温かい言葉をありがとう。
私は、大丈夫です。大丈夫ではないけど、大丈夫です。
さて自分の中できちんと心をまとめるため、パチの最後の夜の様子を報告したいと思います。

パチは、日曜の午後からハアハアがひどくなり、表情もややつらそうでした。それでもまだそこまで急変した兆候は感じられなかった。
だけど、夕方くらいから急激に、つるべを落とすように、具合が悪くなってきました。そのスピードは1時間ごとにひどくなる感じでした。
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↑ これはパチの最後から3枚目の写真。
肩で息をするような、ゼイゼイという肺の奥から聞こえる鈍い音が増してきました。夕方6時頃、担当医に電話。でも先生はすぐにはつかまらず。パチに生卵をあげてみた。まだ食べた。食べる気はあった。でも食べ終わった後に半分ほど吐き戻した。もう食道もつまっていたのかもしれない。
氷も、冷蔵庫を開ける音が聞こえるとふりむくので何度かあげてみた。でも、食べたいけど、もうガキッと囓る力がないというか。このあたりからかなり悪い予感がしてきた。
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↑最後から2枚目の写真。右側、椅子の下の隠れるようにしているのがパチ。呼吸が苦しいせいか、体を動かすのはつらいだろうに、ときどき立ち上がり、数歩歩いて場所を移動していた。苦しいから、体位を変えてなんとか軽減させたかったのだと思う。
夜8時半、担当医の先生が電話をくれた。先生の口ぶりは険しかった。先生もこんなに急変するとは思っていなかったようだが、でも先週木曜日の、再増殖し始めたガンの位置が気道の分かれ目の重要な部分に広がっていたことなどを懸念していた。
「呼吸音はかなり異常です。このまま、次の診察の木曜まで病院を行かずにもつでしょうか」と私は聞いた。私はこのときまで、まだ木曜日にA大学へ行くつもりだった。
でも先生の言葉のニュアンスを嗅ぎ分けてしまった。
もう、たぶんパチは今夜が山なんだと。

先生はできれば夜間の病院にすぐに行き、酸素吸入をしてもらうことを勧めた。
どうしようかと考えた。
でも、オットも私も、心の中は同じだった。
もうパチのガンは、どんな医療でも止められない。
酸素吸入して、病院で注射を何本も打てば、2,3日かそこらはもう少し生きるかもしれない。でも先送りにしても、最後の夜は同じように苦しむときがやってくる。
先送りにする必要はないと思った。

それにこんなにつらそうなのに、車に乗せて、移動させるのはいやだ。パチがよけいに苦しがる。新しい病院に連れて行ってら、よけいにパチが不安になりストレスも感じる。そしたらハアハアがひどくなる。入院したら、退院する日は来ることはなく、そのままパチは病院で死ぬことになるだろう。パチは、いちばん安心する自分の家、バドやタビィや私たちがいる場所から動かすことを望むだろうか。

もう今夜は病院には連れて行かない。そう決めた。
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↑ これがパチ生前最後の写真。そして、最後の2ショットとなった。犬扉の下の顔を突っ込んでいるときは「下に降りたい」か「トイレ行きたい、お外へ行きたい」ときだ。

夜9時半すぎ。オットが、とりあえずバドとタビィの散歩に行ってくる、と言った。
そのとき、ふと私は思った。
「パチも一緒に行こう。バギーで3匹で、みんなで散歩に行こう」
白血球が下がってから、ここ2週間以上、パチはごく近くに抱っこ散歩のみで、3頭で散歩はしていなかった。たぶん私の中で、今夜を逃したら、もう2度とこのチャンスは来ないと感じていたのだと思う。それか、もしくはパチがそう念じて私にそうさせたのかも。

眠たくてもパチのそばで頑張って起きてたマチュに「パチも散歩行くから、マチュは寝てていいよ。パチに挨拶して」と言うと、「パチ、明日起きたときも生きててね」とマチュはパチの頭を撫でた。

いつもどおり、今までどおり、3頭で、近所へ散歩へ行った。パチがワフワフといつも興奮する乗馬クラブとポニー公園にも行った。もうお馬さんたちは寝ていたけど、においはパチに伝わったはずだ。明治神宮の夜の湿った森のにおいも。

そして参宮橋駅前も通過した。そうしたら、いつものように、パチを見かけた知らない人がニコニコしながら「可愛いね」といっぱい撫でてくれた。パチはほんとは少しハアハアしてたけど、雨上がりの涼しい夜の空気だったし、何よりもいろんな人にまた撫でてもらって嬉しそうだった。それでこそパチだ。

夜は閉まっているけどお花がいっぱい咲いてるいつもの公園の横を通り過ぎ、おうちに帰った。パチが最後まで、犬らしく、うちの犬らしく、パチらしく、過ごすことができたのは、本当によかったと思う。

それから11時くらいから、喀血が始まった。体位を変えたり、抱きかかえるたび、赤い泡を吐く。鮮血だ。急いで本で調べた。喀血だ。肺炎が悪化した、あるいは腫瘍が肺も蝕んだ状態らしい。もうその頃の肺の音、呼吸の音は、疲れたときの最高にうるさいオットのいびきよりも大きな音になっていた。パチはもう力なく、しかも吐くのも消耗するから、そんなに大量に血を吐くわけではないが、何度も繰り返すたびに弱っていくのがわかった。吐いた後、すぐその血の上に頭を乗せてしまうくらい。本来、犬は吐瀉物の上に顔をうずめることなんてしたくないのに、もうそれを避ける気力も体力もなかった。それはパチも不本意だろう。ハアハアしすぎて体内の水分もなくなったか、泡も出なくなり、痰がからんだような咳とともに真っ赤な血を吐く。パチの可愛い顔が血で汚れないように、吐いたらすぐに床の血を拭き取っていくのがそのときの私の仕事だった。

チアノーゼが出て、歯茎が真っ白だった。普通な犬の歯茎の色とはまったく違う。ベロの色も紫色。パチのベロが、チャウチャウのベロの色みたいだと思った。

2階リビング(犬リビング)でエアコンをつけていたが、パチが1階へ行きたがった。1階の方が湿度もあるし、窓を開ければ夜風が涼しい。なら1階へ行こう。パチは玄関の冷たいたたきの上に転がってた。その後、奥の寝室に来たり、廊下で休んだり、また玄関へ戻ったり。たぶん犬は、苦しいとき、なんとかその状況から逃れようと、体を動かすのはきつくても、右往左往するのだと思う。パチの好きなようにさせてあげた。

長い夜だった。パチの体を撫でたり、パチが移動したらその様子を眺めたり。洗面器にお水を用意したけど、飲まなかった。パチの呼吸音はものすごく荒かった。苦しそうだった。その様を見ていたら……もう頑張ることはないよ、と思うようになった。

うすぼんやり明るくなってきた。朝までもつのか。そしたらやっぱり病院に連れて行こう、酸素を入れたらラクになるかも、いや、でもどうしよう、などと一人で葛藤していたら。

パチが玄関で急に立ち上がり、急にお水をがふがふと飲み、そして、そんなに飲んでも吐いちゃうよと思ったら倒れるようにして吐き、……そして呼吸音が変わった。大きくなったのではなく、静かめになった。
すぐに疲れてとなりで寝ていたオットを起こそうと思ったら、彼もその音の変化に気がつき、飛び起きてきた。

パチは、呼吸困難、酸欠で、静かに息を引き取った。
でもまだ心臓はトクントクンと動いていた。
「まだ心臓は動いてるよ!」とオットは言い「パチ、頑張れ、パチ!!」と叫んだ。でも私は「もうパチ、頑張らなくていいよ」、もう起こさないであげて、と静かに思った。

パチが。私の、私たちの、うちの可愛いパチが死んじゃった。

もうガンは克服できないとは覚悟してたけど、でも、まさか、今夜とは思わなかった。ここまで早く死ぬとは思っていなかった。急変してからが早かった。だって、日曜日のお昼まで、バーフなどのごはんもちゃんと食べてたのに。オシッコもウンチも、一度も失敗することなかったのに。そう考えると、介護らしい介護は全然してない。毎週木曜日をパチに捧げたことと、オシッコが多くなったから朝晩の散歩以外のもう1回、散歩を増やしたくらいだ。いま思えば、パチのQOLはまんざら悪くはなかったのかもね。パチは、毛艶もよく、痩せてもなく、他人から見れば、病犬には全然見えなかった。普通の犬だった。よれよれにならず、そして最期も苦しみのあまりにぐちゃぐちゃになることもあるだろうに、そんなに取り乱すこともなく、体も心もきれいなままだった。パッちゃんらしいよ。


翌日の月曜日、私は火曜には取材があるから(パチがもっと悪くなる前に一気に行っておこうと、宇都宮と那須の取材をダブルで行く段取りをつけていた。まさかその前にパチが死ぬなんて考えもしなかったよ。連載は私の仕事だからちゃんとやろうと思ってた。この取材を終えたら、しばらく1日がかりの遠出の取材は断るつもりだった)、月曜日中にパチをお骨にしなきゃと思った。オットも会社を休み、そして、朝、パチの死に呆然としていた娘も学校を休んだ。私は「人間の家族が死んだときは忌引きといって学校を休めます。でも犬の場合は普通は休みません。ママが子どもの頃は犬が死んだからといって休む子はいなかった。本当は学校に行くべきかもしれない。お勉強も遅れちゃうし、マチュが学校に行きたいなら行きなさい。でもマチュが休みたいなら休みなさい。マチュが決めてごらん」と言うと、「まつりもパチをお空に送りたい」と言ってくれました。えらいぞ。でも本当は常日頃犬好きが高じて、世間の一般常識を逸脱するのはいけないなとも思ってはいます、とくに娘はまだ常識を認識しているわけではないので。犬バカの私の持論が、世間の常識だと認識するのはいけないとも思ってる。だけど、犬なんだけど、やっぱりパチはうちの家族だからね。マチュの大事なお姉ちゃんだからね。
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パチは、先代の黒猫たねちゃんも、現黒猫まめちゃんのきょうだいで夭折したやんばるもお世話になった火葬のおじさんのところでお世話になり、月曜日午後に白い骨になりました。頭蓋骨、小さかった。パチの骨は細かった。こんなに小さかったんだね。あばら骨なんて、手羽先のように細い。このか細いあばら骨を膨らましていたガンが憎いよ。
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月曜の朝、別の用事をキャンセルするために電話した友がすぐに仲良したちにこの訃報を伝達してくれたようで、チイタロウのママがわざわざで焼く前のパチとひと目お別れをと、タクシーでお花を持って駆けつけてくれました。パチをとても可愛がってくれたEオカさんは、会社の近くだからと(とはいえ、同区内、というだけだった気がします。ごめんね)仕事を抜け出し、焼き場に駆けつけてくれました。夜には、B ママがいますごく仕事忙しいのに、品川から仕事帰りに直接、お花とお香を持って駆けつけてくれました。本当にみんなありがとうございます。一緒に泣いてくれてありがとう。帰りに明治公園で会ったM子ちゃんも。パチを失った私の悲しみを半分こしてくれたね。


私は、体は疲れているはずなのに、月曜の夜も眠くならず、「昨日の今頃、パチはここで生きていたのに」と思い出しては泣いていました。火曜の晩もあまり寝られませんでした。ゾンビ化してます。今朝はパチが原っぱにいる夢も見ました。
また治療もいっぱい頑張ったつもりだけど、もっと別の手だてがあったかもしれないのに、免疫療法でも、パチは組織を手術でとれないし、確立された医療じゃないだけにどんな副作用がでるか保証されないから手を出せない、などと言い訳しながら、ほんとは毎週10万円の治療費を捻出できないもんだからパチを死なせたんではないか、とか、いろいろ頭の中がグルグルしました。やっぱり、やるだけやっても自分を責めてしまうものですね。

たかが8キロくらいの生き物が家の中から消えただけで、なんと喪失感が大きいことか。今もパチが、椅子の下から出てくるんじゃないかとか、ケージの中からコーギービーム(アイコンタクトばっちりなヤツでしたから)を出しているんじゃないかと、つい思ってしまいます。また、今までは犬のごはんのとき、3コお茶碗を並べて準備したのに、それが2コ。パチのお茶碗どこ?、と言いたくなります。散歩のとき、オットの連れた可愛いおしりが2こ並んで歩く後ろ姿をもう見ることはできないんだと思うと泣けてきます。

まだまだいくらでも泣けます。今のうちにいっぱいいっぱい泣いておこうと思います。涙を我慢するとペットロスになっちゃうからね。

でもね。昨日、夜11時頃、ゾンビがふらふらと新幹線で取材から戻ったら、わが家にたくさんのお花が届いててびっくりしました。M美ちん、Mしろちゃん、K本さん、T橋さん(パチに会ったことないのに。最近知り合いになった小学校友達)。なんてありがたいことか。
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パチはすごいよ。パチは、こんなにみんなに愛されて、大事にされて。パチは本当にすごい。

みんなの温かいお気持ちも伝わってきます。お花を見てると、悲しみにくれる涙が少し変化する気がします。お花って、亡きがらに捧げるだけじゃなく、残された人の気持ちも優しく包んでくれるものなのですね。

本当に、みんなありがとう。こんなに想ってもらえて、パチは幸せな犬です。今度生まれてくるときは、股関節の丈夫な、元気な犬になってこい、と言っておきました。でもパチが頑丈で、健脚なコーギーだったら、最強に気が強い犬になり、こんなに可愛い性格にはならなかったかもしれないね(笑)。

まだしばらくはダメージを引きずると想います。あ、いまピンポンで、Aコッカーのまこママさんからもお花が届きました。もう腰砕けになりそうなくらい、ありがたいです。なんて犬友達って、いいんでしょう。友情とはまた違う、犬で結ばれた強い絆。それもパチやバドやタビィが紡いでくれたものだね。

明日からは、仕事しなきゃ。犬でも忌引きさせてもらいたいけど、オットがね今朝、会社行く前に「今からクレジットカードでいっぱい請求が来るんでしょ。全部払い終わるまでが、パチの闘病生活だからね」と言い残して出社していきました。ごもっとも。泣いてばっかりはいられないよ。それにヒマだとよけいに泣くし。

パチ、10年間もありがとう。
パチは最高に最高に可愛い犬だった。若いときから足が痛くても、誰よりも頑張り屋さんで、トレーニング好きで、やる気まんまんで、撮影のときもパーフェクトな相棒だった(撮影中、頑張れば頑張るほど緊張して、なんだか情けない顔になる犬だったけど。笑)。そして何よりも人が大好きで、攻撃性のかけらもないから誰の前でも安心して差し出せた。みんなを癒してしまう、不思議な天性のすごいパワーを持ってた。

パチは、私の、白石家の誇りです。

パチ永眠しました

今朝、6月25日(月)朝5時8分。
パチは永眠しました。享年10歳と1ヶ月弱。
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いっぱい励ましてくれたみんな、いつもパチをいっぱい撫で撫でしてくれたみんな。
パチはみんなに愛された最高に可愛いコーギーでした。

本当にどうもありがとう。

最期のときは「パチ、よく頑張ったね。もう頑張らなくていいんだよ」と私は言いました。

1時から、パチはお空に上がります。